英語のスピーキングアプリを紹介する動画を見ていてふと考え込んでしまいました。
もしかしたら、大らかな性格の人ほど英語のスピーキングを身につけるのに少し苦労する面があるのかもしれないな、と。
どちらかを選ばされ、意見を聞かれる質問
スピーキングの練習では、よく「AとB、どちらがいいですか?」と聞かれます。
たとえば「映画を見るなら映画館と自宅、どちらがいい?理由を教えてください。」といった質問です。
私はこういう時に割と「状況によるんじゃないかな」と思ってしまうのです。
迫力を楽しみたい映画なら、大きな画面と音響がある映画館がいい。
思いっきり泣いてしまいそうな内容なら、メイク崩れや周りの目を気にせずに済む自宅でゆっくり没頭したい。
どちらにも良いところがあるから、一概に「こっちがいい」とは言い切れないことって私にはよくあるんです。
そうすると日本語でも英語でも、「あなたは○○と、××ではどちらのほうがいいか、あなたの意見も述べてください」と聞かれるとどちらかに決めなければいけないという、急かされるような感覚に襲われて言葉が詰まってしまうような「どうしよう。。。」という感覚があります。
「どちらもいいところがある」という大らかな捉え方が、英語の学習のアウトプットの実践においてはかえって言葉を詰まらせる要因になっているのかもしれないな、と感じました。
日本語でうまく言えないことは、第二言語では言えないのは当然
私のように大人になってから英語習得の学習を始めた人にとって、「あなたの意見を」と急に言われても今まで考えたこともないテーマだと、日本語でも意見が出てきません。
日本語で語れる中身がないのに、英語という手段だけを鍛えようとしてもどこか空回りしてしまうような感覚があります。
もちろん「状況によります。○○の場合はこうで、××の場合はこうです。」と答えるのも一つの答えなのでしょう。
それでも何かしらの意見を持つということは、そのことについてある程度の知識や理解があるという「自分なりの視点」が必要とされることなのかもしれません。
大らかな性格の人がぶつかる英語勉強の難しさ
スピーキング(またはライティング)の練習なのに、その手前の「意見を出す」というところで立ち止まってしまう。
なんだか難しいな、という印象がずっと残っています。
普段から「いい意味でどっちもいいよね」と考えている大らかな性格の人にとって、どちらか一方に強いこだわりを持つことは少し難しいことで、英語勉強とは別に「自分なりの視点で思考を言語化」するトレーニングがまず必要ではないかという結論にいたりました。


